市民研究員 大澤浩子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イベントのごみゼロプロジェクトというよりも、「リユース食器の‥」と呼ぶほうが、リサイクルプラザではとおっているようです。外部から問い合わせの電話がよく入るようになりました。 (1)PJの歴史 イベントのごみゼロPJは2002年から始まりました。それより前2000年の研究所主催の「くるくるフォーラム」で、ガールスカウト大阪31団が、割箸を回収して王子製紙に送りリサイクルしていることを知り、一人の市民研究員が割箸の回収を実践し始めました。 その実践に触発され、2001年10月のくるくるセールで割箸回収を試みました。その時、食べた後すぐに捨てられてしまうトレーなどを見て、全てのごみを分別回収できないものかと、分別回収を計画しました。その頃、社会的ルール研究会では、循環都市吹田をつくるための市民条例案作成を2年にわたり検討してきていましたが、困難をきわめ、なかなか思うように進んでいませんでした。次第に、少しでも、わずかでも社会を動かすような活動をしたいという気持ちが特に女性の市民研究員の間に生まれていました。何か取り組むべき課題はないか。割箸回収やごみの分別回収は、その課題にぴったりに思えました。「イベントのごみゼロプロジェクト」の誕生です。 それから市民研究員と事務局の方たちとの話し合いを経て、翌3月のくるくるフェアでのごみの分別回収の実験が始まり、4月、5月のくるくるセールで改良を重ね、リユース食器の利用も試みました。机の上に回収箱を置くことも改良点のひとつで、 |
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そうすると不思議とごみとして捨てるのではなく資源として回収するという意識になります。6月から、地域に出ての取り組みが始まりました。 それから6年、市民研究員の入れ替わりもありました。述べ122ヶ所で実施し、述べ1,788人の市民研究員、市民が参加したことになります。 (2)リユース食器の貸出 2002年、わずかな種類の小学校でいらなくなった給食の食器から始まりました。 貸出数の増加に従い、2006年にはリサイクルプラザの事業になり、食器洗浄機が導入され今日に至っています。東京代々木公園のアースデイでのア・シード・ジャパンのお皿の取り組みを取材し感激してから6年、継続することの大切さをしみじみ感じます。今では吹田市以外からの申し込みも増えてきています。
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