再びお世話になります。
主担研究員 三浦 正紀
 千里リサイクルプラザを今年5月に退任した時は、今後ボランティアとして訪れることはあっても、肩書き付きで戻るとは思いもよらぬことでした。いわゆる出戻りでもあり、皆さん方と顔を合わせるのは何だか面映い気持ちです。
 プラザ在任中は、プロジェクト代表者会議などへの出席を除いては研究所の活動に携わることはほとんど無く、従って主担研究員の内容をよく把握している訳でもありませんので、これからが勉強です。
 私が吹田市へ就職したのは今から40ン年前、職場は水道部でした。当時の自己水は全てが地下水でしたが、初めて淀川から水を引くことになりました。しかし、水道部の全職員が水処理の経験に乏しく、促成の水処理技術屋の養成が急務で、僅か1ヶ月大阪市で研修を受けただけの私が、薬品の注入量を全て任される状態でした。
 その頃の淀川は、台風が来るとそれこそ水と言うより泥の流入で、処理した水は濁りさえなければ良しとし、むやみやたらに薬品を注入しました。勿論水処理用薬品として許可されたものばかりですが、食や水の安全性が叫ばれている今日の社会情勢からして、今振り返って見ると苦い思い出です。その後、赤い水(鉄)・黒い水(マンガン)の処理、琵琶湖で発生するかび臭の除去に腐心し、高度浄水処理の完成を見て水道の水質問題はやっと一段落しました。
 定年後は淀川の水問題に関するボランティアでもしようかなと考えていた矢先、市長部局への異動を命じられました。正に青天の霹靂でしたが、これをチャンスと考え、以前から関心のあったローカルアジェンダの立ち上げを第一義と設定しました。しかし、環境部へ来て見て驚いたことは、所管
 
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が明確でない事務の殆どが環境部の所掌でした。鴉問題に始まり、市営葬儀、市営墓地の管理、やすらぎ苑(斎場)の管理・建替え計画、野良猫問題、狂犬病の予防、蜂の駆除、タバコのポイ捨て防止、捨て看板撤去、中高層の紛争、河川の浄化、数え上げれば切りが無いほどありとあらゆることに手を染めました。退職間際になってやっとどうにかローカルアジェンダの立ち上げに目処がついたことが唯一の慰めでした。
 以上、長々とこれまでの経歴を書いてきましたが、この経験を基に私なりに今の環境問題を考えてみると、地域の身近な環境が地球規模の環境に繋がっているという視点のもと地球温暖化の防止のためには一人ひとりが何を実践できるかを考え行動することに尽きると思います。
 千里リサイクルプラザの設立当初の主旨は増大する廃棄物(ゴミ)の抑制であり、その当時では最も明確な手段がリサイクルでした。しかし今日の地球環境という大きな視点から考えると、まずリデュースが先に来てその後にリユース、リサイクルと続くのではないでしょうか。
 千里リサイクルプラザの研究員制度は他に類を見ない素晴らしい制度です。研究員の皆さんはこのリサイクルという言葉の呪縛に囚われることなくもっと幅広い視点から環境問題に取組んでいただきたいと思いますし、既にその芽は育って来ていると見受けます。今後は「アジェンダ21すいた」などへの積極的な参画を通し、プラザの研究員無しではこれらの組織は成り立たないと言われるくらいになって欲しい、そしてその拠点がプラザになると言うのが私の希望です。そのためには私も及ばずながらお手伝いして行きたいと考えています。
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