1月11日(日)午後2時40分から、今年最初の市民研究員研修講座が開講されました。講師は主坦研究員の内田慶市先生で、 <「環境」を超えて・・・「環境」あるいは「エコ」に求められるもの・・・>と題して講義が始まりました。 新年を迎え市民研究員が初めて集うとあって、お互いに年賀の挨拶を交わすなど、和やかな雰囲気の残る会議室で、28名の受講者が熱心に先生の講義に聴き入りました。 私達が一日に一度や二度は耳にし、目にし、口にする「環境」という言葉が、<周囲の場所、地域>の意味で使われ出したのは、それほど古くはなく1900年代の初め頃からだそうで、現在は自然環境、環境保護と言うように盛んに使用されています。 「エコ」=「エコロジー」については、意外にも菌類の研究で有名な「南方熊楠」の著書の中に見られ、彼が明治政府に対して熊野の神社周辺の森林伐採反対運動を起こし、現在の「熊野古道」を守ったことから彼が「エコの先駆者」と呼ばれていることを知りました。 「環境」と「エコ」には必ず主体がさまざまに存在するので、共有もできるが衝突も起きるのです。つまり、「エコ」が「エゴ」を生むというのです。まして国際化の時代、国民性や文化の違いから「環境保護」として一律に決めつける事は非常に困難となる 内田慶市主担研究員 |
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でしょう。確かにCOP15でも各国の「エゴ」がむき出しになって、何の進展もありませんでした。シーシェパードの事件もまだ記憶に新しいところです。 アメリカの食文化と言っていいファーストフード店が世界中に広がって、紙類を大量に消費する使い捨てのライフスタイルを定着させつつあります。また、自動車の普及も確実にしかも急速に拡大しつつあります。昨年の秋「上海」を旅行した時、道路に溢れているおびただしい新車を目の当たりにして、驚きよりも恐怖に近いものを感じました。 インターネットに代表される情報化時代に、そこから発生する迷惑メールに対処する為に莫大な電力が消費されているとのこと。年間のスパム流通量をCO2に換算すると、車で地球を160万周するのと同じ排出量になるとは驚きです。 となると、この先「地球環境」はますます汚染され、温暖化を食い止める手段はないのでしょうか? いいえ、ここで「環境を超えて」の発想転換をして「あれかこれか」から「あれもこれも」に、「みんな違ってみんないい」に。お互いの長所を見つけ補い合って「エコ」が全世界の共通の文化になるように、一人一人が自分の出来る「エコ」な行動をとることが、今一番求められているのだと思いました。 (文責 エコイベントPT 福田) 熱心に受講する市民研究員 P3 2月に戻る TOPに戻る |