吹田市博物館 夏自然展協賛(10-08-24)講演
関西大学外国語学部教授 内田 慶市
(千里リサイクルプラザ 主担研究員)
         言葉と文化から見た「環境」あるいは「エコ」
             ―「環境」を越えて

                                              市民研究員 西森 健生
 
 内田先生のお話は、小生3回目の聴講となった。その都度先生の中身も深まっているし、私の方も色々な思いを乗せてお聴きすることとなった。初回の報告は、綱島さんが要点を正確に報告して戴いているので、その部分は避けたいと思う。
  講演中の内田慶市先生 
   講演中の内田 慶市先生

古く中国では「環境」という言葉を、
  時江南環境為盗区 のように大変小さい地域を示す言葉として使ったようだ。1924年発行のWebster dictionary でもEnvironmentを四周之情況影響或勢力とし、とある影響範囲を指しています。
 これらが日本に入ってきて、J.C.ヘボンの「和英語林集成」1867初版・1886 3版では
 Environment:n. Mawari no mono とされ、まだまだ狭い使い方がなされていたようだ。
 このあと、エコの先駆者として南方熊楠をあげ、植物生態学Ecologyなる言葉を紹介された。南方熊楠は神社合祀政策による 
自然の森(鎮守の森)伐採に反対し、自然環境保護に尽くし、熊野古道は守られた経緯がある。と展開していかれた。
 戦後我々の生活は好むと好まざるとにかかわらず アメリカ化してきた。世界も車社会・インターネットなどアメリカの政策に乗って一極化の方向へ歩んでいる、即ち固有の文化、伝統文化の軽視が起こっている。→エゴ化が進む。
 「環境」という言葉は、そもそも自己中心的に発生した。結局それを追求したら、例えば中国の人には失礼かも知れないが、15億の人がすべて水洗トイレを希望し、使ったらどうなるだろうか? 揚子江の水はすべて綺麗な水として流れなくなる?? ということではないだろうか? 究極的にはリデュースを皆でやるしかない? ここに環境問題の難しさがあり、とりあえずできることを「あれもこれも」やっていく。
 ささやかながら牛乳パックから紙すきをやろう とか、使わなくなった衣服で布ぞうりを作ろう とか、手作りおもちゃとか、このようなことに高い付加価値を与える意識改革が求められていると考えねばならなくなっているように思っています。
先生の講演も、片意地を張らずに「普段着のエコ」を。の言葉で終わりました。

 この講座 時間不足で 質問時間を設けませんでした。2〜3それにクレームがついたことをご報告しておきたいと思います。
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