世界からエコを考える-イタリア(ローマ編)  そのU       主担研究員  内田慶市

 先月の続きである。毎年調査のためイタリアに滞在している。イタリアの駅前ではカラフルなゴミ箱(左)が置かれている。 そういえば、ドイツのゴミ箱(中)もなかなかいい。ゴミの分別が義務感や強制でなく、「ゴミを分別して捨てる」のが「楽しく」なるような、そんな気にさせるデザインでないか。これが東洋と西洋の美的感覚の違いなのかも知れない。 ちなみに、右は中国のものだが、これはまさに「ゴミ箱」である。日本も同じだが・・・。
  イタリアのゴミ箱 ドイツのゴミ箱 中国のゴミ箱 
 ところで、この夏のローマは記録的な猛暑。特に私が来てからは連日38度である。しかしローマではほとんどの家庭にクーラーはない。これはローマに限らず、ドイツでもフランスでも同様で、基本的にクーラーという概念は存在しない。もちろん夏が短いということはあるのだが、それにしても、クーラーの環境に慣らされてしまっている日本人はたまらない。扇風機はあるが、これでは日本人は我慢できないだろう。今年は日本は節電で28度設定とか言っているが、そんなんじゃとても電力不足はまかなえないはずだ。すだれやよしずを推奨していたが、さてどうだったか。でも、よく考えれば昔は日本人もそうだったのだ。団扇を扇いだり、縁台を出して夕涼みをしたり、夜は戸を開けっ放しにして蚊帳を下げて寝たものだ。昔に戻ろうとは言わないが、そうした日本人の、いや人間の知恵を大切にしたいものだと思う。大震災、原発事故の経験は活かされなければならないのだ。
 またこれは以前から感じていたことだが、日本と欧米あるいは中国では、家の中の明るさがまるっきり異なるのだ。特に欧米の部屋は日本人だったら暗いと感じるはずである。日本でもホテルは暗い感じがあるが、多分多くの日本人はホテルの部屋に入ると全ての照明を点けないと気が済まないのではないだろうか。つまりは、間接照明と直接照明の違いなのだが、確かに、今もローマのこの部屋でこの文章を書いているが「暗い」感じはする。でも、これに慣れると心地よいのだ。和かな明かりである。それに、それはきっと節電にもつながってくるはずである。日本でも間接照明をもっと提唱すべきだと思う。
 さて、先月の記事にカンポ・デ・フィオーリ広場は終日「賑やか」と書いたが、これには「オチ」がつく。
 実は「賑やか」とか「喧噪」とかはとうに通り越した状況なのである。日中はいいが、問題は夜である。今、23時22分だが、部屋の窓を開けていてはテレビの音も聞こえにくいほどである。しかも、狭い路地という路地は車とバイクでいっぱいなのだ。1台1台と次々爆音を響かせてやってきて、大声で飲み騒ぐのだ。若者の特権と言えばそれはそうなのだが、度を超している。私は若いからとか年がいっているからとか、女性だからとか男性だからとかで人を判断しないように心がけているつもりではある。 吉田拓郎も「ビートルズが教えてくれた」の中で、次のように唱っている。
「髪と髭をのばして ボロを着ることは簡単だ  じうじと吹き溜りのスナックで  腕を組みながら  中略 」 でも肝心なのは次の一節である。「人が幸せになるのを  批判する権利は誰にもない みんな 幸せになっていいんだ  人に迷惑さえかけなければね」 路地にあるバイク群
 この国ではどうやらこの「人に迷惑をかける」ということに無頓着なようである。他人のことはお構いなし。これがイタリア風、ヨーロッパ的というものかも知れないが、やはり東洋では「己の欲せざる所人に施すなかれ」である。それは東洋の美徳でもあり、またおそらく「暴力の連鎖」を断ち切り「文明の対話」を進めることができる唯一の方法、考え方だと私は思っている。そしてそれはひとえに「教育」の問題に帰するのだ。愛国心を育て、道徳心を涵養することも必要だろう。しかし、それ以上に肝要なのは、こうした「仁の根本=恕の心」(他人を思いやる心)を持つことを教えることだと思う。それはまたお互いの違いを認め合うこと、つまり「みんなちがってみんないい」ということでもあるのだから。
          P3  11月に戻る  TOPに戻る