A吹田市地図のご説明 上(北側より) 施設紹介に戻る ◆H28.3.改定。 |
参考 市役所HP内に地図が掲載されています。 http://www.city.suita.osaka.jp/map/small/g09.html (新しいウィンドウで出ます、下は概略図です) 国立循環器病研究センタ 東京のがんセンターと並び、日本に2箇所しかない元厚生省直轄病院、重篤患者のみ扱い、症状の回復した患者は転院させ、機能特化に努める。(JR岸辺に移転の予定) 自然体験交流センタ 千里ニュータウンが田畑だったころからある宿泊所、北側(箕面)は緑が残っていたが、近年開発が進み、周辺の緑はさらに減ってしまった。 金蘭学園 お嬢さん学校として有名、プラザ設立時、主担の先生として来ていただいた。(山田・吉村先生) 北千里体育館 吹田はソフトテニスとレンリングの強豪市で、大阪国体の時はここが、レスリング会場になった。選挙開票の会場でもある。 大阪大学 官僚を育てる東大に対し、阪大は実学を重んじ、工学・医学部に高い水準を誇る、石油・核物裂に代わる夢のエネルギーと言われる、核融合実験センタはレーザー方式による核融合を目指し、H21年3月世界最大の出力施設が稼動した。(中国全土に日照する太陽を畳半畳に集める比率) 現在欧州でも国際協力施設建設中、これらが実用化されれば温暖化防止になるはず。初代末石所長は阪大の名誉教授でもあった) 北千里駅 世界最初の自動改札機設置駅でもある。(IEEEマイルストーン国際電気施設認定) 大阪市立済院 昔千里地区が田畑ばかりの戦前からある、結核療養所、また孤児教育施設でもあり、多くの子供たちがここから巣立っていった。現在も病院業務を行う。 障害者交流センタ 全国的にも先駆けの支援交流センタである。全国大会も開催された。 万博公園 ご存知の1970年万博跡地。万博スローガンは「人類の進歩と調和」当時は進歩志向だったのに対し、反骨の芸術家岡本氏はあえて原点の「生命」を太陽の塔に込める(塔内部は生命進歩の像になっている)地球環境が大変な今、予知的である。又、日本最初の商業炉原発(敦賀原発)は大阪万博に間に合わすことを目標に建設送電された。 万博協会では、環境等に関するコンペ支援なども行っている。周辺道路は茨木土木事務所による菜の花アプロード活動の場。(申し込みは土木事務所へ) なお周回道路は時計方向一方通行。秋に万博ごみゼロウォークを開催。 南西側に大阪最大級の太陽光発電設備を設置(SHARP製) 公園東口駅 昼は1時間に3本間隔運転、普段は閑散としている。営業距離はギネス世界一である。 JR茨木駅 万博開発の時に駅から万博への道が敷設された。プラザへはJR茨木駅から近鉄バス・阪急バス「阪大本部前行き・エキスポシティ行き 日本庭園前下車降り場と乗り場は異なるので注意。 」 万博内有料駐車場 エキスポ開業に合わせ料金システム改定。休場の時あり、万博HPに開場状況掲載。 万博記念競技場 27年度までのガンバの拠点。試合時には関東方面からもその服を着たサポーターが大挙して訪れる。26年に3冠し寄付金達成!。27年10月南側に市民参加型新サッカー場完成。 新サッカー場(市立吹田サッカースタジアム) 寄付金達成。27年10月完成。選手までの距離最短7m日本一迫力ある施設かも。ガンバ以外の一般利用可。 エキスポシティ 旧遊園地跡に大規模商業施設建設。27年11月開業。渋滞対策として進入道路建設。施設内に吹田市情報発信プラザ開設。 吹田IC 名神、近畿道、中国道の交差点であり、全国的にも規模が大きい。GWなど交通渋滞時にはこの上空からヘリ報道される(プラザも映っている) 千里ニュータウンプラザ H24.9.新設の総合施設 1階より、市役所・花と緑の情報センタ・大ホール・ニュータウン情報館・図書館・保健センタ・高齢者生きがい活動・国際交流協会・市民公益活動センタ・地区公民館・平和祈念館 が入居する。(市役所・図書館はこの場所に移転した) H24年はニュータウン入居50周年。 また吹田初の市民公益活動センタは 市内のボランティア活動の拠点施設として活用が期待される。広報紙有。 伊射奈岐神社 天照の両親神を祭るにふさわしい場所として伊勢の巫女に命により山田の地が選ばれ、鎮守する。かって伊勢市は宇治山田町の町名で、関連がある。 千里ニュータウン・山田地区の産土神社になる。佐井寺伊射奈岐は夫、山田伊射奈岐は妻を奉る。 千里ニュータウンは日本の高度成長の住宅供給であり、団地の高齢化が進む。 高速バスバス停 中間バス停であるが、ここから東京、北陸、長野、四国、中国、九州、行きのバスが発着する。吹田の交通立地が分かる。 関西大学 ご存知の大学。最近ではスケートの高橋・織田・町田君が有名。高槻に別校舎がある。 災害学の河田先生も有名。 過去に井上・久保田先生には 主担の先生としてご指導をいただいた。27年度より内田先生のご指導をいただく。 吉志部神社・窯跡 本殿は重要文化財であったが、残念ながらH20年消失。(23年再建)。近くに窯跡がある。岸部地区は古い職人町であり、その由緒から近くに博物館が設置された。 泉殿神社 垂水神社 北側丘陵地の出口に相当する箇所は古くは泉の名所、水が必要なビール工場 と 万葉集に「石ばしる垂水の上の早蕨の萌え出ずる春になりにけるかも」と歌われている。縄文時代はここまで海だった 垂水の森は当時を伝える。 旧中西邸 旧家を公開している 旧西尾邸 こちらも公開している。この家より明治時代大変優れた作曲家を輩出した。市民によるボランティアによる邸宅案内がされている。 浜屋敷 吹田歴史文化まちづくりセンター(広報誌「吹田ノ渡シ」を発行)浜屋敷のすぐ隣が吹田市発祥の地、旧吹田村役場跡がある。吹田村は神崎川から川を渡った対岸の亀岡方面の街道入り口として発展してきた。 JR吹田駅 阪急吹田駅 残念ながら、両者は600M程離れており、乗換には大変。 商工会議所 プラザは商工会議所の会員でもあり、拠出企業さんの関係から現在も評議会はここで開催している。 新市民会館(廃止) 旧市民会館は男女共同参画センタの隣あり、建物の耐震性不足により閉鎖、その後JR吹田駅前の民間の摂津ビル内に開設していたが、24年廃止された。又勤労青少年ホームも近日中廃止予定。 アサヒビール 吹田駅を降りると大麦の香りがする。市役所のある場所は泉町と言い泉殿神社があることからも水の豊富さと鉄道の利便性からここにビール工場が建設される、 明治時代のレンガ建てが今も残る。ごみゼロウォークには約100名参加していただいた。 東急ハンズ 手作り創造シッョプ。エコ・ロハス・ナチュラルに関心のある方は一度は訪れたことがあるのでは?、最近は競合店により、規模縮小した。 男女共同参画センタ この場所でプラザの行事を行うことがある。 勤労者会館 この場所でプラザの講演会等行事を行うことがある、地下にプールを設置。 吹田操車場跡 旧国鉄時代、中央の丘から行き先別に貨物を転がして配置。現在は操車方式は廃止され、拠点輸送式になっている。跡地の再開発事業が進む。 大阪学院大 電車から見えるレンガ色の建物。マラソンの高橋さんの母校。この大学の三輪先生も主担研究員として長くご指導いただいている。先生にはアジェンダすいたの顧問もしていただいている。 立命館大学 京都より一部移転27年開学。 27年より主担として小幡先生にご指導をいただく。 温泉 吹田には現在2箇所の温泉施設があり、過去2箇所が閉鎖された。 吹田市役所 〒564-8550 大阪府吹田市泉町1丁目3番40号 06-6384-1231(代) 人口35万人、世帯14万の市行政である。 市のHP→http://www.city.suita.osaka.jp/ 吹田市の特徴 吹田市は旧市街(南部) 千里ニュータウン(北部) 旧山田村(東部) により構成され。住宅地が大半であり、商業地域(江坂周辺)、工業地域(神崎川周辺)は少ない。万博・千里ニュータウンなどの存在から、新進の気風がある。 千里NTは東京多摩に次ぐ2番目のNT。第1次石油ショックの時は千里NTがトイレットペーパー不足の震源地といわれている。(水洗化が進んでいたため) すいたん紹介吹田市は23年に市制70周年を迎えた。キャラクターすいたん「(C)吹田市」は正月の御節に入れる慈姑(くわい)(正月にくわいを食べてないと一年間目が出ないそうな)を摸したもの、吹田慈姑は吹田市原産、ごくわずかに保存されていたものを地元有志が栽培拡大販売している。NHK昼の番組でも紹介された。 参考 ガンバ大阪新球場建設の募金を行っています。→27年に3冠し、寄付金達成!。 24年9月南千里駅西側に「千里ニュータウンプラザ」が建設発足。25年1月千里丘に図書館が開設。26年大和大学開学。 27年4月千里山コミセン施設内発足。 27年4月立命館大学開学。 27年10月新サッカー場完成。 27年11月商業施設エキスポシティ開業。施設紹介のTOPに戻る プラザ周辺地図 周辺駐車場は閉場の時があります。詳しくは万博協会HPをご覧下さい。 又上の地図には詳しく描いていませんが、エキスポシティ開業により、 新たに進入道路が建設されています。(外周は一方通行につきご注意) ちょっとだけ自慢 その1 日経新聞調査によると吹田市はサステナブル(持続可能)都市指数全国6位に 選ばれました。 ちょっとだけ自慢 その2 2014年サッカーブラジルワールドカップでは、日本人観客は 試合後 観客席の清掃を自主的に行ったことで、 主催国から 唯一 表彰されました。(画面は報道TV) 施設紹介のTOPに戻る 全体のTOPに戻る |